4.湖水地方


913


今日は湖水地方へ移動する。AM11:10、エジンバラ駅(Edinburgh)発の、ウィンダミア(Windemere)行きだ。途中、オクセンホーム(Oxenholme)で乗り換え。まずエジンバラ駅へ行って、何番線から発車するのか確認する。案内役の男性が、説明してくれるが要領を得ない。私が拙い英語で確認するものだから、駅員のほうが不安を感じたらしく、「付いて来なさい」と言う。



付いていくと、「少し行ったところを左折して歩き、反対方向の階段を登る。登ったら左折をして暫く行く。10番線と書いた札があるところを下りて行くと、そこがウィンダミア行き列車のプラットホームであった。」こんなに複雑な所を、口頭で説明されても混乱するだけだろう。むしろ「10番線ですよ」と言われれば、人に聞きながら行けたかも知れない。



しかし、エジンバラはスコットランドの首都と言うだけあって、プラットフォームは、全部で20番線まである。日本で言うと、古都・京都のような存在か。ホームが一箇所ではなく、あちこちに散らばっているから複雑だ。親切な駅員に助けられた。



ついでにと言っては何だが「ところで、今日は日曜日だから両替は出来ないでしょうね」と聞くと、「出来ますよ。まだ発車まで時間がありますし」と言って、先ほどホームへの行き方を尋ねたところへ戻り、「ここです」と両替商を指差す。これは有り難いと思って、窓口へ行き「トラベラーズ・チェックの両替をしたいのですが」と言うと、「手数料が5%になりますが宜しいですか」と言う。



「普通、銀行の手数料は1%前後ですが」と私が言うと、「此処は銀行ではありませんから」と言う。私は、現金が少なくなっていたので、手数料が高かったが、最小限の50ポンドだけ両替した。金曜日の夕方にツアーから戻ってきたので、月曜日の今日まで、両替のチャンスが無かったのである。



ウィンダミア行きの列車は、少ない3両編成で定刻に発車した。車内は清潔で、乗り心地も悪くない。乗換駅までは2時間だ。暫くは外を眺めていたが、余り代わり映えがしないので、パソコンを取り出して、無線によるインターネットを試みたが繋がらなかった。何が原因か分からないが、繋がったり繋がらなかったり、ワイヤレス通信は非常に微妙である。



後から乗車してきた中国人夫婦が、斜め前の向かい合わせの席に座った。男性は席に座るや、パソコンと電源コードを繋いで、パソコンを叩き始めた。私も一生懸命電源を探したが見当たらない。コンセントは向かい合わせの席の座卓にしか、付いていなかったのである。



乗換駅にはPM1:10に到着。次の列車の発車まで20分余りあったので、サンドイッチとコーヒーを食していると、早々と乗り換え列車が入線してきた。「この列車は、ウィンダミアに行きますか?」と駅員に確認して乗り込んだ。座席指定は取れていなかったが、その必要が無いほど、座席に余裕があった。隣の席では私と同じように、老夫婦がサンドイッチを食べていた。



乗り換え後の列車は、湖水地方を走っている。5分おきに小さな駅に止まり、女性の車掌がドアの開閉をしている。湖となだらかで起伏の多い、緑の光景が目に入ってきた。まさしくピーターラビットの絵本の世界だ。発車して20分後に目的の駅、ウィンダミア駅に到着。



さて、今夜のユースホステルは、駅から近くないようだが、バスで行く方がいいのか、タクシーの方がいいのか取材する事に。レンタル自転車店の店主は、面倒くさそうに「タクシーがいいだろう」と言う。もう一人、中学生位の男の子に聞くと「バスで行くと、下りてから、かなり歩かなくてはならない。タクシーで行っても5ポンド位だよ」と言う。



私はタクシーで行く事にした。確かにYHAは、バス通りから、かなり奥まった丘の上に位置し、歩くと20分ほどの道のりであった。この坂道を20分も、スーツケースを転がして来るのは大変だ。考えただけで汗が出てきそうだ。料金は6.50ポンド(約1000円)であった。



YHAは素晴らしいロケーションに建っていた。今日はこの地方としては、珍しい位の晴天で、何時もなら部屋で一休みするところだが、取る物も取り敢えず、カメラを持って外に出た。YHAの敷地から眺めているだけでも気持ちが満たされ、誰かに伝えたくなるような高揚感が湧いてくる景色である。


           

              湖水地方−1


敷地から外に出て、山の手の方に行ってみる事に。羊が草を食み、この上なくのどかである。ただ、公道を外れて少し人家の方まで行こうとすると悉く、「プライベート」(Private)の看板が掛けられていて、進入を拒まれる。日本なら、そんなにうるさい事は言わないと思う。国民性の違いが、こんなところにも現れている。


    

             湖水地方−2

方向を変えてYHAの方に戻ってくると、若い男女がスーツケースを引いて歩いてくるところであった。「台湾から来ました。そこまでバスで来たんです」と言いながら、額に汗をにじませている。「私はタクシーで来ました」と言うと「幾らかかりましたか?」と。「6.50ポンドでした」と言うと「それじゃ、私達のバス代と同じだ」と言っていた。


  

          

             湖水地方−3


もう少し下に歩いて行くと、ホテルの庭で賑やかな集会が行われていた。聞いてみると、結婚式の集まりであった。親戚、友人が晴れやかな服装で集い談笑している。イギリス各地からの人が多いが、中にはオーストラリアから来たと言う人もいた。お天気にも恵まれ、又と無い結婚式日和である。カメラを向けると皆愛想良くポーズを取ってくれた。

                 

     結婚式−1              結婚式−2



年配のご婦人に声を掛けると、「今日の花嫁は私の姪なの」と嬉しそうだ。「これからどちらへ?」と聞くので「この後は、アイルランドへ行く予定です」と言うと、「あら、良いわね。私はまだ行った事が無いのよ。だってアイルランドはユーロに入って物価が高くなったから」と言う。


                  

     結婚式−3               結婚式−4



私から見れば、「ユーロも高いが、イギリスのポンドはもっと高いではないか」と思う。しかしイギリス人から見ると「ここ数年のうちに、ユーロのポンドに対する為替が2倍ほどになり、このたびの金融危機で一時は、1ユーロ=1ポンドにまでなった」と言う。我々の感じ方とは、大分異なるようだ。イギリスは「我尊し」で、ユーロに参加していないが、うかうかしていると、やがて将来性に富んだユーロに、抜かれるかもしれない。


一時間余り散策して、宿舎に戻りシャワーを浴びてゆっくりしていると、中年の男性が大きなリュックを抱え、登山靴で入ってきた。挨拶をすると「ロンドン近くの大学の職員で、休暇を利用して山歩きをしている。47歳で独身です」と言う。「大学の職員は学校が休みになると休暇が取り易く、この時期は毎年、数ヶ月間の山歩きをしています」と言っていた。



                    

   YHA−私のベッド             YHA−私の部屋から


この人の発音が、オーストラリア人に似ていて、「エ音」が「ア音」になっている。つまり「トゥデイ」が「トゥダイ」、「スリーデイ」が「スリーダイ」と言う具合に。オーストラリアに最初に渡った人々が、「ロンドン近くの下町の人だった」と聞いたことがあるが、その地域の人に出会ったように感じた。他の単語の発音もこれ式だから、なれない吾人には非常に聞き取りにくい。標準語で発音してくれても難しいのに。


次に入室して来たのは、前日から宿泊していた爺さんだ。70歳代に思えるが、自信が無い。シャワーを浴びるとフルチンで出て来て、身繕いをしている。この年になると「怖い物知らず」である。


夕食は久しぶりのご馳走にありついた。チキンのソテーと、ジャガイモを中心にしたメインディッシュ。あんなに肉厚のチキンを食べたのは初めてである。此処のYHAは料理まで出してくれる。しかもリーズナブルな値段で。7.25ポンド(約1100円)也。


私が食べ終わる頃、先ほど路上で会った、台湾人カップルが食堂に入ってきた。「ハネムーンですか?」と話を向けると「ロンドンの大学院で勉強しているクラスメイトです」と言う。「でも将来は結婚するんでしょう?」と言うと、即座に「それは有り得ません」と女性が言う。そういう関係も有りになっているのかしら。男性が甲斐甲斐しく女性のご機嫌を取っているように見えた。


  

           

             「ハネムーンですか?」



914


YHA手作りの本格的イギリスの朝食。ソーセージ、ベーコン、ビーンズ、トマト等の乗った皿が一枚。パン、ジュース、牛乳、コーヒー、紅茶は食べ放題、飲み放題で4.65ポンド(約720円)也。とは言っても、朝からそんなに食べられるものではない。程々にしておく。それにしても、イギリスの朝食と言うと必ず出てくる物の中に、ビーンズがある。大豆より少し大きな豆を煮て、それにソースを掛けた物だと思うが、何処で食べても同じ味なのである。一度聞いてみたいと思う。


此処のYHAの歴史について興味があったので聞いてみた。ロビーには、それに関する写真つきの説明が掲示されていた。つまり「1900年に此処の地主が、館を建設していたのだが焼却して持ち主が変わった。そして新しい地主は1935年にYHAを建設した」と。つまり、この建物は最初からYHAとして建てられた物だと言う。「道理で使いやすく、過不足なく出来ているわけだ」と思った。


さて、今日はピーター・ラビットの著者、ベアトリクス・ポター(Beatrix Potter)の住んでいた所を尋ねるつもりである。縦50Km、横30Km程の湖水地方には沢山の大小の湖水が点在しており、そこに何本もの路線バス、観光バスが張り巡らされて観光の足となっている。自分が何処にいて何処に行くかによって、乗車するバスの路線番号が変わってくる。


したがって今日、自分は何番のバスに乗るのか、予め調べておかねばならない。ガイドブックで紹介されていたのは、555番と599番の路線であったが、私が実際に使ったのは505番の路線バスであった。つまりガイドブックには、粗々のことは紹介されているが、現地に行ってそのまま使えるとは限らないのである。


鉄道のウィンダミア駅を発車した505番のバス(1日乗り放題で6.50ポンド)に途中乗車して、ホークスヘッド(Hawkshead)まで行き、そこで更に1時間に1本のロウカルバス(往復5ポンド)に乗り換えて、ヒル・トップ(Hill Top)に行かねばポターの家まではいけない。8時半にYHAを出て、ポターの家に着いたのは10時半だ。

  

            ベアトリクス・ポターの家


土地の人に聞くと「こちらの記念館になっているのは、結婚前の家。向こうの白い家は結婚後に住んでいた家」と言う。記念館から数百メートル離れている白い家に行ってみると、犬がほえている。どうなっているのかなと思っていると、家主が出てきて「敷地内に入るな。門のところに書いてあるだろう」みたいなことを言っている。


門のところに戻って見ると、「プライベート」の札が掲げられていた。つまり、現在は人手に渡っていて、ポターとは関係の無い家になっているのだ。なんだか楽しみにして遠路はるばるやって来たのに。高揚していた気分が、大きく引いて行くのが分かる。


記念館の方はナショナル・トラストに指定されているとは言いながら、入場料を取り、関連グッズの売店になっているし。回りの建物は殆どが「プライベート」の札を掲げて敷地内の進入を拒否している。湖水地方にはポターがらみの売店、記念館が沢山見受けられ、商売に利用されているようにも思える。


日本でも人気があるせいか、今日も日本人の団体さんが見えていた。小さな売店に小さな記念館だから10人も入ると一杯に成ってしまう。「湖水地方の美しい自然を、そのまま将来に残しておきたいと」言うポターの精神は大切にしたいが、現実はなかなか厳しい物を感じる。正直に言うと、「ポター記念館の周りの景色よりも、YHAの回りの風景の方が美しい」と思うのは私だけだろうか。


  

             ヒル・トップの農場

バスを乗り継いでYHAに帰る途中、アンブルサイド(Ambleside)で下車して昼食のパンをかじる。ついでにバークレイ銀行に寄って、トラベラーズ・チェックを両替したら、手数料は取られなかった。金融機関によって、まちまちである事が分かる。「こちらは手数料を取らないんですね?」と言うと「そうですよ」と窓口の女子社員が笑顔を返してくれた。これだけの事だが、なんか元気が出てきてしまった。


 

           

               アンブルサイド



バスに乗り、YHAの最寄りの停留所(Troutbeck Bridge)で下り、そこから歩いて帰った。結構登りの坂道でもあり、20分ほど掛かった。シャワーを浴びてゆっくりしていると、消防士のような格好で、つまりヘルメットを手に持ち、ロングブーツを履き、大きなベルトをして、二人の壮年が入室だ。挨拶をすると「一人は57歳、もう一人は66歳。二人はロンドンの近くに住む友人で、バイクのツーリング仲間だ」と言う。休みを使って、イギリス国内のツーリングを楽しんでいると言う。66歳のバイクツーリングには、恐れ入りました!


70歳代のお父さんが何処からとも無く戻って来た。最後に入室して来たのは50歳前後に見えるイギリス人男性。今日の相部屋は、私以外は皆イギリス人。そして平均年齢がかなり高い!これまでに経験が無い程の高齢者集団である。


夕食はビーフステーキを頼んであったが、食卓に出て来たのは、想像していた物と大分違う。確かにビーフではあるが、ステーキと言うよりも、シチューのようである。美味しかったので、マ、いいか。7.50ポンド(約1200円)也。


夕食後、パソコンを叩いてから部屋に戻ろうとすると、入り口近くの廊下で、日本人らしい風貌の若い男女4人が立ち話をしている。「日本の方ですか」と声を掛けると、反応が無い。中国人だったのだ。彼ら4人も、30分前に此処で出会い、話し込んでいるのだと言う。


私が入ったからか、会話は英語だ。一人の男が「日本人は英語が話せないと聞いていたが、お上手ですね」と言う。60歳代の男にしては、と言う事であろうが、褒められると悪い気はしない。4人共、イギリスの大学に留学中である。



「この後は、何処へ行かれますか」と聞くので「アイルランドに行く予定です」と言うと、「ビザの取得が大変でしょう?」と言う。「ビザはいらないはずだけど」と言うと「エ!我々中国人はイギリスに来るにもビザが必要です。だから海外旅行は大変です」と。


私が「我々日本人は、3ヶ月以内の観光旅行なら、大概の国がビザ無しでOKです」と言うと「何でそんなに違うんだろう」と言う。まだ自分の国の状況、立場が分かっていないようである。私が「多分、政治的な問題だと思いますよ。共産主義体制であるとか、発展途上国であるとか」と言うと、大分納得したようだ。



そういえば日本から韓国へ来る飛行機内で、出会った上智大学生が「イギリスへ、ボランティアで行くのに、ビザが必要でした。しかもビザを発行する所が、日本国内には無く、香港とかシンガポールに申請しなければならない」と言っていた事を思い出した。申請する方からすると、パスポートに加えて、ビザを申請する意味が良く分からない。時間と発行手数料が掛かって、単に入国のハードルを高くしているだけにしか思えない。




915日(火)



起床した時「夕べの、この部屋の平均年齢は高かったですね」と言うと、70歳ぐらいと思っていたおじさんが、「私は72歳だ」と言う。すると、50歳位と思っていた男が「私は42歳だから一番若いでしょう」と言う。これで皆の年齢が分かった。72歳、66歳、57歳、42歳、それに私が63歳。平均すると丁度60歳だ!!大変なユースホステルである。



それにしても夕べの「いびき」には参った。42歳の男のいびきだ。暫く我慢していたが止みそうにも無いので、背中をつつくと気が付いて、「ウン?」と言う。私が「いびきの音が大きすぎる」と言うと、先刻承知のようで、「ソーリー」だと。お陰で彼のいびきは止ったが、今度は57歳の男が、いびきをかき始めたのである。42歳の男ほどひどくは無かったので、私はいつの間にか眠ったようだ。



実は昨日から虫に食われて困っている。ニュージーランドでやられたのと同じような症状である。あの時は、指1箇所であったが、今度は、耳朶2箇所、首の横3箇所、左足の膝頭3箇所、右足の膝頭1箇所、右手の親指1箇所、合計10箇所咬まれていた。



食堂の女子従業員にその旨を言うと「痒いですか?外を歩いている時に、蚊か何かに食われたのでしょう。この国には何処にでもいますから」と言って、まともに取り合ってもらえなかった。日本の蚊なら免疫があるから、痒いぐらいですむが、こちらの蚊には免疫が無い為か、ひどい状態になる。



まず、虫に刺された時の常備薬である「ムヒ」なんか、何の効力も無い。1Cm四方が赤くなって腫れ、やがて水ぶくれになる。ズボンの膝の所が濡れているので、どうしたのだろうと調べてみると、水ぶくれが破けていたのだ。たかが蚊かも知れないが、日本の蚊とは違って質が悪い。



朝食は昨日と殆ど同じ内容であるが、バイキングスタイルになっていた。どんなに食べ放題とは言っても、朝からそんなに食えるわけではない。私は少しずつ、色んな物を食べようと考えた。中でも気に成る料理が一つ。つまり、大豆に似た豆を煮て作った料理が、必ず出てくるからである。



                      

    YHAの朝食−1              YHAの朝食−2



聞くと「これは大豆ではないが、イギリスでは何処にでもある豆で、それをトマトソースで煮込んである」と言う。イギリスの家庭では最も一般的な料理の一つで、誰もが小さい時から食べ慣れているようだ。



沢山の選択肢の中から、どんな順番で食べるのか見ていると、誰もが、まずシリアルを食べていた。単なる習慣なのであろうが、私にとっては面白い発見である。私はおよそ自分で食べる物を、予め目の前に持って来てから食べ始めたが、イギリス人は、シリアルを食べた後も、一品ずつ持って来ては食べていた。これも彼らの習慣、或いはマナーなのかしら。



食堂には多くの中学生が来ていた。ガヤガヤと賑やかだ。聞くと「地域の同好会で、中学生8人と、大人の引率者が5人。此処を拠点にしてトレッキングやカヤックを楽しみます。34日です」と言う。朝食のバイキング方式は、食い盛りの彼らにとっては、実に好都合であろう。



一方で、ただ一人、黙々と食料を口に運んでいる、55歳ぐらいの男もいる。誰と話をするでもなく、ひたすら下を向いて、寡黙に食している。彼は食料を自分で持ち込み、自炊している。大きな器でお代わりをしながら、ひとしきりシリアルを食べる。それで終りかと思うと、今度はパンを焼きジャムをつけ、ジュースをコップに注いで食べ始める。哲学者的な雰囲気でもあるが、単に孤独な人のようにも見える。YHAには色々な人が来ている。



また、親子4人の家族連れが、談笑しながら食事をしていたら、近くにいた熟年夫婦の女房が、「ニュージーランドから来たんですか?」と話しかけた。「そうです。ニュージーランドのオークランドから来ました」との返事。「アクセントの違いで分かります」とか言っている。我々日本人が、関東と関西のアクセントの区別を、簡単に聞き分けられるようなものであろう。残念ながら、両者のナチュラルスピードの会話に、私が割り込む余地は無かった。



食後、出かける仕度をしていると、72歳のオヤジさんが「今日は何処に行くの?」と言う。「部屋でゆっくりしようかとも思ったが、あんまり天気が良いので、湖に行って船に乗ろうと思っています。貴方は?」と聞くと、窓の外を指差して「あの辺りの山を歩く予定だ」と言う。「今から出かけて何時ごろ戻るんですか?」と聞くと「5時頃になると思う」と言う。



72歳の爺さんが、一人で8時間も山歩きをするんだから、山の地図ぐらい持っているのだろうと思い、「地図は、あるんですか?」と聞いた。すると「此処にある」と言って見せてくれたのが、パソコンに取り込んだ、湖水地方の山岳地図であった。そこに今日歩く予定の道程が描かれており、高低差、歩くキロ数が全部分かるようになっていた。



「これを紙に印刷して持って行くんですね?」と言うと、「そうだ。これがそうなんだが」と言って見せてくれたのが、デジタルカメラほどの大きさのGPS(Global Positioning System)だ。「パソコンから、このGPSにダウンロードして持っていくのだ」と言う。



大したものだ。夜毎、食堂でパソコンを見ながら、娘さんと何やら話していたのは、これだったのだ。「明日は何処へ行こうか」と地図を見ながら検討していたのだ。娘さんが言うには「GPSを持っていても、時々道に迷います」との事ではあるが。



「既に妻を亡くし、5人の子供達は独立しているので、今は一人暮らしである。一緒に来ているのは末の娘だ」と言う。見たところ30歳代の中ごろか。東芝製の大きなノートパソコンの背景画になっているのは、今のガールフレンドだそうだ。「湖水で船に乗るんだったら桟橋まで送って行くよ」と言って、4輪駆動のランドクルーザ−に乗せてくれた。



イギリスに来て感じることの一つに、日本車の少なさである。ニュージーランドでは70%が日本車だったのに、此処イギリスではめったに見ない。フランス車のプジョーや、アメリカ車のフォード等が目に付く。何か理由がありそうだ。



桟橋まで来てみると、遊覧船には幾通りもの航路があり、此処で決めなければならない。30分クルーズから2時間クルーズまで、料金も様々である。私は船で対岸まで行き、湖畔を2時間ほど歩いた後、また船で戻ってくるコースを選んだ。8ポンド(約1200円)也。天気にも恵まれて、素晴らしいハイキング日和であった。写真も沢山取れて、見るのが楽しみである。


    

              ウィンダミア湖−1



だが、此処で一つトラブルが発生したのである。対岸に渡って、2時間程を歩いた所までは順調であったが、そこから船に乗ってこちら岸に帰ってくる時に、船を間違えたのである。


     

               ウィンダミア湖−2



丁度船の発着場所に着いたとき、「船が出るぞー」と言われたので、何も確認しないで大急ぎで乗り込んだのがいけなかった。船が出港すると船長がチケットのチェックに来て「このチケットでは、この船には乗れない」と言う。そんな事言われても、乗ってしまったのだから、いまさら下りるわけにも行かないし。出港した船を引き返せと言うわけにも行かない。


    

               ウィンダミア湖−3



「此処は別途運賃を払うしかないのかな、チケットは買ったのに」と考えていたら、私と少し前から一緒に歩いていた紳士が、ポケットからそっとコインを出して船長に渡していた。船長はそれを貰うと他へ行ってしまった。紳士が私の分を払ってくれたのだ。紳士には申し訳ないことをしたが、たかが渡し舟に一、二分乗せたからと言って、そんなにガミガミ言うなよ。外国人旅行者には、もう少し大らかな配慮が欲しいものである。



渡し舟が到着したのは、本来私が乗るべき船より、ずっと手前までしか行かない為、下船してから30分ほど歩いた。そこから更に本来の船に乗り換えて、30分間の湖上遊覧を楽しみ、アンブルサイド(Ambleside)の桟橋まで戻ってきたのである。



しかし、まだPM1:30であり、YHAに戻るには早すぎるように思われた。ガイドブックを見ると、ここアンブルサイドの見所として、ナショナル・トラストに指定されている、ブリッジ・ハウス(Bridge House)が紹介されていた。桟橋から20分ほど歩いた所に、その小さな石造りの家は建っていた。



  

              ブリッジ・ハウス−1



中は、お土産屋に成っていて、入っていくと80才にもなろうかと言う爺さんが、笑顔で迎えてくれた。「面白い建物ですね」と言うと、昔の写真を取り出して、「2階建てで、それぞれ8畳も無いほどの、この小さな家で、チャーリー・リックと言う男が、妻と6人もの子供と暮らしていたんだ」と話してくれた。




  

               ブリッジ・ハウス−2 



「へー、こんな、ベッドを一つ置けるかどうか分からない位、狭いところに」。そして家の内側には作れない為に、外側に、それと教えられなければ見過ごしてしまうような、形ばかりの階段が付いていた。思わずシャッターの回数が多くなったのでした。



バスに乗ってYHAに戻ってきたのはPM3:00だから、かれこれ6時間ほど湖水地方を散策していた事になる。シャワーを浴びてパソコンに向かう。PM6:00頃、私を船乗り場まで車で送ってくれた、72歳のおっさんが声を掛けて来て「今日は、どうでしたか?」と言う。



私は「おかげさまで、今朝は助かりました。有難う御座います」と言うと「それは良かった」と言ってくれた。シャワーを浴びてきたのだろうが、すっきりした顔をしていて、とても20Kmも山道を歩いてきた人とは思えなかった。本当に元気な人だ。



今日の夕食は、ソーセージとマッシュポテトの付け合せに、ソースを掛けたものであった。過去2回の夕食は、美味しく食べたが、今日の夕食は期待はずれ。まず私は、水っぽいマッシュポテトが苦手だ。それに今日のソースは濃すぎて、それをつけたら、しょっぱくて食べられない。「これは失敗作ではないのかしら」と疑ってしまう。買い置きしてあった、パンと牛乳で胃袋の調整をする事にした。



私の食事が終わる頃、中国人男女が食堂に入ってきた。このYHAでは、中国人に良く出会う。女性は「中国の大学で、鉱物資源の調査をしながら教鞭を取っており、今回はその大学からの派遣でイギリスの大学に来た」と言う。30歳ぐらいの子持ちである。



男性は、「同じ研究をしているが立場は学生である」と言う。男性はイギリスに来て1年になると言っていたが、彼の英語は非常に聞き取りにくかった。結構しゃべりはするのだが、発音がはっきりせず、「そんな英語で学生生活は大丈夫なの?」と、聞きたくなる位であった。



彼ら中国人は、日本に大変興味を持っているが、日本の現状認識は、殆どなされていないようである。まだまだ、日本の情報が自由に入ってくるようには、なっていないことを感じる。




916日(水)



朝食時に、息子と二人で食事をしている50才前後の男性に「日本から来ました」と挨拶をすると、「日本には仕事で2週間行ったことがあります。東京、新宿、鎌倉、箱根。すし、天ぷら、焼き鳥、刺身」と日本語の単語が出てきた。「お住まいは?」と聞くと「私はロンドンの近くに住んでいるが、実家はこの近くです。息子と二人で、トレッキングをしながら、ユースホステルを泊まり歩いています」と言う。



折角の機会だから、朝食時に出る、煮豆の話題を出してみた。すると彼は「美味しいですか?私は嫌いだから食べません」と言う。「え!食べない?」こんな人も居るんだ。日本人でも全員が納豆や、味噌汁を好きなわけではない事と同じか。人によって好みは違うものである。



今日はリヴァプール(Liverpool)へ移動だ。AM11:59発の列車だから朝はゆっくりできる。朝食後、暫くパソコンを叩いてから部屋に戻ると、もう誰もいなかった。荷造りをしてAM:10時にチェックアウトを済ませる。AM:1100にタクシーを呼んであるので、それまでロビーで時間を潰す。



今日の列車は、乗換えが2回。改めて乗り換えの駅名と時間を確認したり、リヴァプールでの行動予定を考えたりしていると、少し早めにタクシーが来た。私の顔を見るなり「お早う御座います」と日本語で。「日本には行ったことが御ありで?」「ええ、友人を追いかけて、一度日本に行きました。仙台に住んでいた順子さんです」と言うではないか。



「それで結婚できたんですか」「いえいえ、彼女は私の子供ぐらいの年です。日本人の男性と結婚して、この近くに住んでおり、ツアーガイドをしております」と言う。「それでは、おととい私が、ベアトリクス・ポターの家を訪ねたとき、日本人ツアーに説明していた人が、その順子さんかな?」と言うと「そうかも知れませんよ。日本でも、ピーターラビットの人気が高いようですね」と言っていた。なかなかの日本通である。



ウィンダミア駅で列車を待っていると、9人の中国語を話す学生が談笑していた。聞いてみると「台湾人と中国人です。イギリスの学校でのクラスメイトです」と言う。台湾人、中国人が本当に多い。



  

      ウィンダミア駅


昼食用のサンドイッチと牛乳を買って、ふとベンチを見ると、二人の日本人女学生が会話中。「日本からですか?」と声を掛けると「今ドイツのラプチッヒに語学留学中で、そこのクラスメイトです。ライプチッヒからロンドンまでは、片道6千円位で飛んで来られます」と言う。



「ドイツ語を選択した動機は?」と聞くと、京都出身の学生は「本当は他の言葉を選びたかったが、定員にもれて、ドイツ語に回されました」と言い、奈良出身の学生は「5歳まで父の仕事の関係でドイツにいたんです」と言う。「将来の希望は」と水を向けると「語学を生かせる仕事に就けるといいのですが、先輩を見ていると難しそうです」と顔が曇りがち。



語学を学んでもそれで身を立てられるのは、一握りの優秀な通訳か、学校の先生位ではないかしら。語学は勿論できた方がよいのだが、それが特殊技能として仕事に求められるのは、ごく一部である。日本は外国語を知らなくても、そこそこ暮らして行ける、自己完結型の国だから。ましてドイツ語の需要となると更に低いかもしれない。インターネットも、英語の世界になりつつあるし。



ウィンダミア駅(AM11:59発)からオクセンホーム駅(OxenholmePM0:18)迄は、数日前に来た道を引き返す。湖水地方を走ると、のどかな風景が左右に広がる。オクセンホーム(PM0:23発)からウィガン・ノース・ウェスタン駅(Wigan North Western13:09)迄は幹線で座席指定が取れていた。



ウィガン・ノース・ウェスタン駅(13:24発)からリヴァプール・ライム・ストリート駅(Liverpool Lime Street,14:02)迄の列車は、2両編成でジーゼル車かと思わせるような、古くて汚れた車両であった。乗降客の姿、服装もそれなりである。途中から若い女の子が乗ってきた。其のうちの一人は、金髪の量が多く、背中まで届く長髪、その見事な迫力は、ライオンのたてがみを想像させた。



インターネットで予約した時に、座席指定を取れないところがあって、心配していたが、座席指定が取れないところは、もともと座席指定の制度が無い区間だと解った。つまり田舎の支線で、座席指定が無くとも、座れない心配の無いところであった。



リヴァプール駅からYHA迄は、荷物があったのでタクシーを使った。YHAで受付を済まし部屋に入ると、先刻韓国の青年がいた。「日本から来ました」と挨拶をすると「韓国では、日本車のホンダで働いていたのですが、働くばかりの生活に疑問を感じて辞めてきました。イギリスに来て半年間、語学学校に通い、今は旅行中です。これからヨーロッパ大陸に渡り、一ヶ月ほど旅をしたら、韓国に帰って仕事を探します」と言う。



私がリヴァプールに立ち寄ったのは、他でもない、ビートルズの匂いを感じたかったからである。彼らのCDは持っているし、歴史は何度も放送されて大体知っているし、グッズが欲しいわけでもない。ただ彼らの育った町の風を体感したかったのだ。ビートルズ・ストーリー(Beatles Story)という大きなミュージアムまで行ったが、入場料が12.50ポンド(約2000円)だと言われて入場を止めた。


    

             ビートルズ・ストーリー  



次に、彼らが無名時代から出演していた、キャヴァーン・クラブ(The Cabern Club)を目指した。マシュー通り(Mathew Street)にあると言うが、その通り自体が、普通の地図には載っていないような、狭い路地で、通りの長さも200m位しかないため、なかなか探し出せなかった。


  

               マシュー通り



行ってみると、この通りにはビートルズ関連の店が幾つもあった。中でも来て良かったと思ったのは、キャヴァーン・クラブである。現在のそれはリニューアルされた物だが、それでも地下の薄暗いクラブは、十分にビートルズ時代の雰囲気を残していた。ここを訪れることが出来て、私は満足だった。


 
 
                   

   キャヴァーン・クラブ−1         キャヴァーン・クラブ−2



しかし、まだ時間があったので、リヴァプール港の方へ歩いていった。巨大な建築物が幾つも目に付いたが、その中に税関等があったと言う。貨物の輸出入港として繁栄していた事を感じる。ただ、現在のリヴァプールは、なんとなく、くすんでいて、晴れやかさに乏しい。



夕食は、リヴァプールYHAに戻って、キャベツ入りのラーメンを作って食べた。キャベツの甘みが十分に出て美味しかった。同室の韓国人青年は、リヴァプール対ハンガリーのサッカーの試合を見に行った。休憩室でパソコンを叩いていると、アフリカのジンバブエからの留学生が来室し、しばし懇談。彼は「スコットランドのアバディーン大学で建築を勉強中」だと言う。是非頑張ってほしい。


           

               リヴァプールYHA   



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